久世について

 昔は久世町と呼ばれていましたが、今は単に久世、と呼ばれています。地元の人たちにとっては未だ真庭市という呼び名より久世という呼び名で通っているようです。
 古くは木材の町として、林業が盛ん。変わった農作物としてはお札の和紙の原料となるみつまたが栽培されています。大きく教科書を飾って脈なす歴史はありませんが江戸時代早川代官の元で栄えました。
 旭川の中流上域にあり、城下町勝山と高瀬舟の落合の間にあります。清水に恵まれ、山に接した盆地で岡山県のみならず全国的にも一番の激しい最高最低気温を記録する町です。
 岡山県北は厳しい自然にあり、人々は概ね穏やかで優しく、節度に厳しい昔ながらの生活を重視します。働き者が多く賑やかな祭事を好み、素直で人情があり、都会的なケレン味はありません。秋の祭りは激しいだんじり喧嘩が町内で行われます。時に関西の人に「岡山の人は意地悪だ」と言われることがありますが、これは県南地域に住む人たちをさして言われる言葉のようです。県北では人柄や生活文化がかなり異なるようです。戦国時代、岡山県北は毛利方の国人守が収めており、城を失っても山野で隠然たる勢力を維持していました。そのため南部の大きな争いには直接影響を受けにくかったようです。津山城に森藩城主が入る際も山野の勢力を恐れて山陰の道より入ったと言われます。そのお陰で中世の美作国は独自の文化で栄え、山陰や東西とのつながりがありました。
 姫新線の駅が町の中心にあり、現在ワンマン運行中です。その駅の近くには昔木材を貯蔵するプールがありました。「ALWAYS三丁目の夕日」に撮影された旧遷喬小学校の建築物内部を見て頂くと分かりますが、明治時代の防腐技術でタールが厚く塗られています。この下処理のために防腐処理などが行われました。
 冬は降雪が多く、一面真っ白となります。大変に寒く水道配管、窓やサッシ等々に影響が出ます。あまり知らされていませんが、他地域では珍しいミヤマクワガタがたくさんいます。
 湯原より川続きのため、川には洪水で流れてきたオオサンショウウオがいます。富村、樫村、目木などの山部からも支流が集まって河川のターミナルになっているため清水で生活する生き物の層が豊富です。そして、このような水域を利用して古くから京・近畿で取引される木材の桴場が各所にありました。
 人々は農作物に興味が深く、家庭栽培でもキーウィなどが比較的早く広まりました。都会の人に比べて素材の素性、味に敏感なため、本焼きかすてらのような自然食品が好まれます。
 現在の久世は山陰、山陽、関西、九州を結ぶ高速道のジャンクションになっています。そのため物流の便が良く、関西からのアクセスが便利で、高速道を中心に設置される通信網が比較的利用しやすい場所となっています。


真庭について

 昔は真庭郡といい、現在の町村部が含まれていました。県北最大の城下町津山に比べると田舎ですが、交通の要衝であったために高瀬舟の通る川を中心に町が栄えています。県北には小説のモデルとなった八束村、市に属せずダム事業のお陰で合併を免れ、経済的な独立を果たした珍しい新庄村などがあります。岡山県の各所には関西の都会部を避けて広い土地を生かした走行施設、自動車会社の研究所がありますが、北房には本格的な珍しいジムカーナのコースがあります。蒜山高原は大山と近く、火山灰と珪藻土の土壌で良質の七輪を生産しています。いずれも冬は降雪が多く、スキー場もあり、小中学校から指導員の資格を取っている人たちもいます。
 また、鳥取や日本海側との交流が深く、縦の交通網を持っているため、古くから海産物の行き来が盛んです。日本海の魚がまず運ばれてくる場所です。そのため、地元の人たちは瀬戸内海の海の幸を日常的にほとんど食べません。
 旧国美作の国の中心ですが、邪馬台国をこの地と分析する人もいます。邪馬台国は施設を残しておらず、時間統治・空間統治の多部族国家と解釈可能です。出雲より明石へ向かう脈の通り道にあるため、旧大和民族国家の末裔であるかもしれません。神話に出てくる高天原は美作地方となっています。また、あまり知られていませんが他地域に見ない貴重な弥生時代の遺跡が所々に発見されています。そのためか人々は思考が独創的・創造的で、木材を使ったスーパーカーを作成した企業などもあります。
 地層は古生代に造山運動で作られた岩石で、真賀石と呼ばれる硬い石や蛇紋岩を産出します。蛇紋岩はプレートの衝突によって溶解した物質やマグマの働きで作られています。蛇紋岩は風化して滑りやすく、道路の崩落の原因を生じています。地元の人たちは雨の多い時期の土砂崩れに悩まされてきました。
 山側の山村は自然が深く、モリアオガエルなども住んでいます。渓流が多いので多数の美しいイトトンボも見られます。動物はタヌキやイノシシが出ます。シカやツキノワグマは生息域から外れる(やや東よりの那岐山、奥津近辺に生息)ようです。
 人々の生活の楽しみは芸能、祭り、食べ物など様々でドブロク作りも盛んでした。城下町である勝山では今も商業が盛んです。有名な御前酒というお酒が今も造られています。勝山は脚本家の倉本聰さんの祖先の地であり、民主党総理大臣鳩山氏の祖先の家や墓所があります。江戸時代は日本三大一揆である山中一揆の舞台でもありました。百姓を苦しめ、城主に密告した庄屋や斬首された人たちの刑場が残り、特に被害の大きかった蒜山地方には今なお閉鎖的な文化・伝統が残っています。
 桜の名所も多数あり、有名なのは後醍醐天皇にちなむ巨大な醍醐桜です。小高い地が身近に多く、山際に多くの花見スポットがあり、行楽や花見で賑わいます。


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