おかのほんや

岡本屋(おかもとや、おかのほんや)

 岡本屋(おかもとや、おかのほんや)が発祥したのは天満宮で有名な山口県防府市と聞いています。店を開いた伴千明は文化人であり、穏和でユニークな人柄の人物で岡山県の湯原に移ってかすてらや饅頭、米菓子を始めました。地所には温室もあって園芸作物の販売をしていたこともあります。当時の湯原町禾津は川に暖かい温泉が流れており、寒冷地にも関わらず冬は過ごしやすく、植物の栽培に適していました。天然記念物オオサンショウウオの姿を模したハンザキマンジュウ(オオサンショウウオは半分に裂いても生きている生命力の強い生き物と呼ばれ珍重されていた)は形が面白く、かすてらと共に土産物として人気がありました。岡本屋を語るにおいて店主伴千晶の魅力と人となりを省くことはできません。

落款

犬飼毅との親交

 伴千明さんは山奥の湯原の地に名物を作り上げた人物ですが、尋ねても大抵のことはよく知らないなどと言われます。上の家系にある近三郎は犬飼毅さんと親交があり、今も部屋には本人の大書が掛けられています(持ち物の多くが岡山市の犬飼木堂に寄贈されています)。

犬飼毅の揮毫、奥付に『伴氏山荘』

中世、庄屋としての岡本屋

 元々岡本屋は伴家の祖先が中世に大庄屋を営んでいた頃に使用していた屋号です。日本三大一揆の一つである山中一揆は岡本屋の家系とも関わり深く、伴千明は一揆の犠牲者を悼んで皆に呼びかけ、その数だけ供養の碑を立てました。娘の倫子さんと共に山中一揆を調べて郷土史の作成に貢献しています。当時、ある庄屋家の密告により一揆が発覚し、賛同者は急遽藩主に追い詰められることになります。犠牲は大きく、日本でも最大の処刑者を出しました。湯原近隣の人々は地元の地理に詳しく逃げ延びましたが、蒜山から参加した人たちが逃げ遅れ多く犠牲になりました。岡本屋の主人はそのような人たちを蔵にかくまい、藩主の処刑から守ることができました。かくまわれた人たちは明治時代まで岡本屋代々へ季節の贈り物を欠かさなかったと言われます。たいへん大きな庄屋で、湯原街禾津の多くの土地がその所有地でしたが代々人が良く(山中一揆の記録にも庄屋で悪口を残されていないのは岡本屋くらいであったため、千明さんがよほど人が良かったのだろうと言っています)最後は財産を他家に与えて無一文となりました。伴千明さんの性格をよく表しているように感じます。

禾津は一揆の中心地にあったが、この地域の大庄屋であった岡本屋の名前は出てこない事から体制側に名を連ねていない

かすてらへのこだわり

 伴千明さんはハイカラな人で紅茶を茶葉から淹れて余り物のカステラを頂くのですが、カステラのしっとりした甘みと紅茶の上品な苦みはとてもよく合います。好奇心旺盛でカステラ作りにもさまざまな工夫を行っており、その造詣は深いものがあります。ただ、移り気が過ぎて商品の質を安定させたり一つの味を追求することには性格が向かなかったかもしれません。それはともかく湯原という奥地で何年もかけて銘菓を育て上げ、名物としたのです。後に実際にかすてらを焼くのは千明さんの奥さんの操さんの仕事になりました。操さんは田舎っぽい濃厚な味のかすてらを焼いていましたが、ややもするとムラのある味が手作り感があり、家庭的で、好まれた面もあったようです。これが一代目ゆばらのかすてらです。

 現代のような綺麗に整形された形ではありませんが、生地のしっとり感への追求は予断なく、潰れるギリギリの焼き加減はなかなか模倣できません。昔の操さんのかすてらの味を知る人たちの中には「おばあさんのかすてらが食べたい」と決して現在のゆばらのかすてらに満足しない人がいます。操さんは味を維持し、店頭売りにこだわり、卸売りは増やさないようにしていました。美品ではないが味を限界まで追求し、儲けを広げないことで味を守ってきた姿勢を何年も貫き通すことで銘菓を育てたのです。しかし、操さんいわく「かすてらはおじいさんの味(おじいさんの作った味の組み立て)だから」との言葉です。千明さんが開発し操さんが焼いたかすてらがゆばらのかすてらと言える商品なのです。

二代目ゆばらのかすてら「久世店」

  千明さん夫婦が高齢化のため、湯原禾津店の販売は休業状態となりますが、同じ真庭郡の久世町(現真庭市多田)に住む娘の倫子さんに引き継がれ、復活します。久世店はゆばらのかすてらの事業を引き継ぐこととなり、そしてこの二代目ゆばらのかすてらで大きく味が進歩することとなります。倫子さんは千明さんと異なり、一つの目的を根強く追求する根気と意欲を持ち、料理に関するセンスが優れていました。また千明さんから向上心と探求心を受け継いでいるため、味にこだわり材料の質を落としませんでした。倫子さんは千明さんを通してかすてらについて独自の考え方を持っていましたが、自ら釜を購入し、メーカーで研修を経て一からかすてら造りを見直す作業を続けます。その結果、似ているようで全く別の味となったかすてらを作り上げることに成功するのです。ゆばらのかすてらと銘打ちながら、その味わいは久世かすてらと呼ぶべき独特のものとなり、多くのファンを集めました。その味わいは近県にまで広がって『ゆばらのかすてらは美味しい』『こんな美味しいかすてらは食べたことがない』『大量生産でない独特の味』『既製品と違ってしっとりと柔らかい』……などなど評判を築き上げます。その味の信用は根強く、地元久世、落合、勝山、蒜山といった地域にはわざわざ久世店にかすてらを買いに来る方が多くいらっしゃいます。大らかな味、しっとり感、柔らかい生地、味の良さ……いずれも大量生産では味わえない味のポイントばかりです。

包装の面でも新しい工夫が加わりました。かすてらに和紙を敷く包装、箱なども倫子さんが久世店で始めたもので、各店(湯原禾津店、うえ町のかすてら、六斎堂さん)へ伝承されています。そのため、ゆばらのかすてらの包装には伴千明とともに瓜生倫子さんの名前が記名されています。

 さらに夫の正二さんがかすてら造りに加わりました。久世のかすてらは既に千明さんのかすてらとは別物になっていましたが、二人は千明さんとの関係を大切にし、敬って敢えてゆばらのかすてらという銘柄で販売を始めます。正二さんは当初かすてら作りに否定的でしたが、倫子さんの留守を預かって始めるうちにすっかりのめり込み、自身で道具を作成したりカステラを分析、計量することを繰り返してかすてら作りの行程を大幅に効率化しました。また、材料について分析思考し、季節が変わっても同じ味と品質を維持する研究に没頭します。そして添加物を一切使用しない自然食品である久世のかすてらに誇りを持っていました。二人はさらによい味を求めて様々な工夫を凝らし、周りからこれ以上ないと言われるほどに味を突き詰めて行きます。卸商からも『これ以上の材料を仕入れている所は他に知らない』『添加物を全く使っていないのは貴方の所くらい』などと言われるほどになりました。

 久世店のかすてらは二人が精魂込めたお陰で地元の人のみならず、他県からも多くの注文を頂いて繁盛しました。特にたまたま収録されることとなったTV番組「Voice21」に登場したことで近県の多くの人に認知されました。千明さんのゆばらのかすてらは他の人に受け継がれますが、未だにゆばらのかすてらと言えば久世店とその味を思い浮かべる人も少なくありません。また、そのかすてら作りは奈良の六斎堂さんや大阪のうえ町のかすてらにも受け継がれ、六斎堂さんでは独特の味へと発展しました。

美作久世本焼きかすてら

 倫子さんの味は後に残すべき素晴らしい味ですが、他人が同じ手順と材料で作っても同じ味にはなりません。特にかすてらの命であるしっとり感はきちんと作るだけでは出ないのです(むしろ多くのかすてらは見た目を整えるためにしっとり感を犠牲にしています)。地元には多くの根強いファンがいますが、久世は現在、不十分な地方政策のため昔からの菓子屋さんが伝統を受け継ぐ若い働き手を失いつつあります。

 千明さんはこだわりのない人で、ゆばらのかすてらはなくなってもいいんじゃないか、などと笑って言います。ただ岡本屋の名前は残してくれると有り難いそうです。美作久世本焼きかすてらは倫子さんの味と正二さんの行程を受け継いで新しく作られたかすてらですが、千明さんの言葉を受けて岡本屋の文字を入れました。作文上、直伝と書いてますが実は技術的な事は何も受け継いでいません(笑)。ただ、千明さんの人柄や面白いことやっちゃろう、という精神、ハイカラなセンスを受け継いでこれから進歩していく筈です。

 千明さんと旧知であり懇意の卸先の社長さんに言われた言葉があります。「千明さんが長い間素材本意のかすてら作りを続けて来られているのだから添加物を使用するべきじゃない」。千明さんは長年のかすてら作りで「ゆばらのかすてらは一種類だけを研き上げてきた」「添加物は一切使用しない」この二つを守りぬいてきました。

 添加物・製菓用インスタントパウダー等未使用のかすてら。ラベルの最初に入っている「自然の味」という文字の重さ。かすてらを読んで頂いた皆様にはお分かり頂けたと思いますが、どんなに難しい素材でもこれを曲げたかすてら作りは一切しておりません。意地でもしません(笑)。久世店は伴千明の子孫(身内)が経営していますので、おじいさんおばあさんの生業を受け継ぎ味を守りたい、安く美味しいものを大量生産でなく手作りでというおじいさんの想いを守って続けたいという気持ちがあります(加えて倫子さん正二さんが丹精して行き着いた味でもあります)。

 かすてら作りは繊細で毎回上手に焼くのは至難の業ですが、それも含めて手作りの味として楽しんでもらおうというのが千明さんの考え方で、通のかすてらファンのお客さんはそれをよく分かってくれているのです。

 倫子さん正二さんのかすてら作りは完成されており、工夫の入り込む余地はありませんでしたので、この味わいに劣らずさらに上を行く味を目指して一から作り直すことにしました。二人の手順を解体し、一から作り直しました。 最初に、かすてらの味が落ちる夏場でも美味しく食べられ、日持ちのする夏かすてらを作り上げました。(夏かすてらの涼しく軽い風味は一般的によく好まれましたが、濃厚な味を好む通の久世かすてらファンには物足らなかったようです。秋冬のかすてらが美味しい季節をお待ち下さい(笑))。決してお勧めは致しませんが、卸店にて誤って一年間店内に放置されていた本かすてらを見た処、全く傷みがなかったそうです。保存状態が良好であれば添加物を一切使っていなくともこれだけの製品特性を持っています。冬には冬専用の冬かすてらを製造しています。そして変わりかすてらは和三盆と抹茶を中心に味を練っています。添加物を使わず材料と正面から向き合う新しいかすてら作り――結果さまざまな個性あるかすてらが生まれます。今までにない味、食感、扱えなかった材料、保湿性の高いかすてら、木目の細かさが商品となって誕生します。

 かすてら作りで生地をオーブンにかける段階を「本焼き」と言いますが、本焼きかすてらの「本焼き」は「本気で焼いてます」の意味です。新しい味を生み出すために懸命ですが、失敗もあります。でも地元の人たちは不出来を承知で食べてくれる。そんな暖かい地元の応援を受けて地域によって育てられているかすてら作りです。地元久世で生まれ、地元の人に育てて頂いたかすてらとするために木材の町をイメージしたラベルにしました。

美作久世むかしかすてら

 地元のみならず他県にも根強いファンを持ち、ゆばらのかすてらの名を近県に轟かせた倫子さんの味です。

 本焼きかすてらは技術の積み重ねですが、むかしかすてらは正当な材料と多くの人に提供できる行程に工夫があり、本焼きかすてらほど作り込んでいない分、ざっくりとそぼくな暖かさがあります。生地全体が柔らかく、しっとりと蜜を含んでいます。

むかしかすてらはこちらからどうぞ

(岡本屋) 正凜堂

 千明さんの屋号であった岡本屋と倫子さん正二さんの名を一文字ずつ頂いて二代に続くかすてら作りを岡本屋正凜堂の名に込めました。